ネパールの異カースト間結婚~後編~
3回にわたってご紹介している、FIDRネパール事務所のパートナーNGOであるAYN のスタッフ、ダヴィさんのご両親が経験したカーストの壁を越える結婚のストーリー。
今回は、お母さんの思い出話から。
(まだ前編・中編をお読みでない方は下記からご覧ください。
前編はこちらから
中編はこちらから)
___
ネパールの女性は、結婚すると夫のカーストや文化、宗教的しきたりを受け入れなければなりません。仏教徒であるタマン族の伝統の中で育った私の母は、結婚を機にヒンドゥー教であるチェトリ族の習慣に従うことになったと言います。
「お祭りも違う。お祈りの仕方も違う。食べ物、儀式、言葉、すべてが違っていたの。 それまでは仏教の儀式だったし、ロサール(新年)のお祝いもあったし、ティカ(お祝いのときに、額や眉間につける印)は白いと決まっていた。」
「ところが、ヒンドゥー教の伝統では、ティカは赤いし、動物を生け贄にするし、神様へのお唱えもサンスクリット語だし。周りには誰も私に教えてくれなかったし、うまく慣れられるように助けてくれる人もいなかった。私の家族やタマンのお祭りが懐かしくなったときに慰めてくれる人もいなかったんだよ。チェトリ族が額に赤いティカをつけるダサイン(ヒンドゥー教の最も大きなお祭り)の間、私は心の中で平和を象徴する白いティカをつけるタマン族の文化を思い出さずにはいられなかった。」
母は不平も恨みも言うことなく、全く異なる文化に一人きりで適応するように努力しました。これは母にとってはとりわけ大変なことでしたが、母は自分の一部が失われるような思いをしようとも、父との愛を選んだ以上、くじけずに時間をかけて成し遂げました。
「私には意味が分からない儀式だったけど、いっしょうけんめい勤め上げて、習ったことのない言葉でお祈りをし、慣れない習慣にも合わせるように頑張ったのよ。」
やがて母は、タマン族のルーツと新しいアイデンティティとの調和を取れるようになりました。父がそうしたように、母もまた誰にも苦難に気づかれない中、母なりに自らの品位と尊厳を保ったのです。
かくも多くの困難に両親は向き合わなければなりませんでした。私がここに語りつくすことなどとうていできないものでした。
「私たちの苦労は、周りの人から見てわかるようなものもあったけど、多くは内面的なもので、それだけに辛いものだった。それでも私たちは強く生き、懸命に働き、支え合い続けたんだ。そして、ゆっくりとカーストよりも愛を大事にする家庭を築きあげたんだ。」
ふたりはいばらの道を、一歩一歩、諦めることなく進み続けたのです。
「最初のうちは、親族たちは私たちの関係を受け入れられず失望し、中には怒る人もいた。けれど時が経つにつれて、私たちの愛情や尊敬、献身を見て、変わってきたんだよ。少しずつだけど、現実を受け入れるようになってきたんだ。やがて私たちの結婚だけじゃなく、カーストを越えて互いの家族をも受け入れるようになったんだ。」
昔ながらの価値観に抗う結婚は、恐怖や拒絶から始まりましたが、ついにはカーストや文化の壁を越えて、家族と家族とが理解し合い、つながり合うようになったのです。
サリー(ヒンドゥー教の衣装)を身に着け、ダサインのお祝いをするダヴィさんのお母さん。義母から赤いティカをつけてもらうのは、家族として受け入れられた証です。
親戚とともにタマン族の衣装をまとい、額に白いティカをつけたロサールのお祝いをするダヴィさんのお母さん(右から2番目)
ふたりの間に生まれた私は、お互いへの愛こそを重んじて、慣習的な価値観に立ち向かい、苦難を乗り越えてきた両親の姿を見て育ちました。そのため、2つの異なる伝統、お祭り、食べ物、言葉、儀式に触れることができました。おかげで、柔軟な考えができ、多様性を重んじ、そして文化的にも豊かになることができました。さらに、自分の人生の選択という点においては、強く、自立的で、勇敢であるべしという励みにもなっています。
私の両親の結婚にまつわる経験談は、単に珍しい出来事というだけではなく、ネパールの多くの地域にいまだに根強く存在するカーストの慣習とその中で人々がどのようにふるまうかを映し出す鏡といえます。
37年の結婚生活を経て、なお絆を強めるダヴィさんのご両親
ネパールでカーストの壁を越えた結婚が許容されるまでには、まだ長い道のりがあることでしょう。カーストや民族の違いのために花開くことのない恋物語がこの国にはたくさんあるはずです。
しかし私の両親を見れば、真の愛があり、居心地の良さやプライド、家族の承認さえも犠牲にする強さがあれば、カーストを理由に結婚を諦めることなどないと確信をもって言えます。
カーストの規範よりも愛を重んじた私の両親は、ネパールの社会の中では稀有で勇敢な事例だったかもしれません。しかし、「カーストの壁がいまだに人々を分断している国であっても、一人ひとりが古い慣習に挑む勇気を持てば、変化を起こすことは可能である」ということをふたりの物語が教えてくれます。
平等で多様性を尊重したネパールの未来を築くよう、私たちも励んでまいりたいと思います。