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ネパールの異カースト間結婚~中編~

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#海外スタッフ

ネパール事務所パートナーNGO、AYNスタッフ

ダヴィ・カトリ

 ネパール社会の慣習に抗い、カーストの壁を越えた恋愛が芽生えたダヴィさんのご両親の若き日々。互いの距離は縮まっていきましたが…。

 ___

 

 ふたりの道は決して平坦ではありませんでした。異なるカースト間の恋愛はさることながら、私の親たちのような「上位カースト」と、カーストに属さない先住民族の間の恋愛は、彼らの村ではタブーとされていたのです。

 

 それに加えて、父と母の年齢の差が状況をさらに厄介にしていました。父は当時27歳であった一方、母は当時まだ15歳。世間のものさしでは結婚には若すぎる歳でした。

 

 父の側も、結婚を申し込んだとしても、相手の家族のみならず自分の家族からも許しを得ることは難しく、ことによるともっと辛い結果になるかもしれないと予期していました。

 

 父は村の首長であっただけに、その言動が周りの人たちから注視されていました。カーストを離れ、文化規範が異なるうえカーストにも属さない先住民族のタマン族の若い娘と結婚したとなれば、自分がそれまでに築いてきた経歴が損なわれ、首長としての資質が疑われた挙句、村の人々から批判が巻き起こることも、覚悟しなければなりませんでした。

 

 父は、一個人として結婚の決断を下しただけでなく、社会的、政治的な壁に立ち向かう決断をしたのです。

 

 父は当時をこう振り返ります。

「私たちは、どのような結果になるかを十分に認識し、それでもお互いを選んだんだ。自分たちの結婚は、社会にも家族にも受け入れられないだろうと分かっていた。だから駆け落ちしたんだよ。当然、誰からも祝福もされないし、結婚の儀式も、盛大なお祝いもなかった。ふたりの関係を築くためには、慣習のくびきから逃れるしかなかったんだ。」

 

「私たちは慣れ親しんだ村や生活を捨てて、新しい生活を始めるために別の村に移り住んだ。そこでようやく、自由を手にしたんだ。愛しあうために許可をとる必要がないという自由。カーストを気にせずに暮らせる自由。互いを尊重し合うことができる生活ができる自由だよ。」

 ところが——。

 両親にとって、結婚生活のスタートは、苦難に終止符を打つこととはならず、そこからが本当の闘いの始まりでした。

 

 ふたりは経済的にも、社会的にも、心理的にも、ゼロからのスタートを余儀なくされました。親戚たちのほとんどからは批判され、のけ者扱いされ、無視されつづけました。家族の支援というものが一切受けられなかったのです。冠婚葬祭といった家族が集まる場に呼ばれることもなくなりました。

 

 村の人々もまた、次第にふたりから距離を置くようになりました。話すことを拒まれたり、噂やゴシップを流されたり。

 

 かつては村の首長として敬われていた父でしたが、今や、自分の考え方が通用しない中で、何とか自らの尊厳を保とうと努めました。

「私たちには土地も家もなく、手元のお金もわずかしかなかった。文字通り地べたから這い上がるような感じで、昼も夜も働いて、暮らしていくために必要なお金を稼いだんだ。そうして何とか小さな家を建てることができた。」

 

 そのさなかでも、周りの人たちの両親に対する目は冷ややかでした。父は自分の食事を抜いてまで、母に食べさせようと献身的であったことに気づくことはありませんでした。

 

 長時間の労働。家計の苦しさによる精神的なプレッシャー。かつて自分が導いた人々からの支えを失う痛み。家族の失望を目の当たりにした罪悪感。父はこれらを背負いながらも決して不平を言わず、決してあきらめませんでした。

 

 そしてまた、母にとって、状況はさらに苛酷だったのです。

 

 

 ヒマラヤ山脈のごとく高くそびえるカーストの壁を乗り越える結婚に踏み切ったふたり。周りから孤立して生活する中で、ダヴィさんのお母さんはどのようになったのでしょうか。

続きは後編(9月公開予定)をご覧ください。

 

(前編はこちらから)

 

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