FIDR(ファイダー)は、開発途上国の子どもたちの支援と緊急援助を行う、国際協力NGOです。

プロジェクトの今 - カンボジア小児外科支援

2014年12月04日

ASEAN小児外科学会で、カンボジア人小児外科医が表彰されました

ASEAN小児外科学会で、カンボジア人小児外科医が表彰されました

11月初旬、ASEAN小児外科学会学術集会がミャンマーで開催されました。東南アジア諸国から小児外科医約100名が集い、カンボジア国立小児病院の外科医3名も出席しました。そのうちの一人 オゥ・チェン・ニャップ医師は、「先天性胆道閉鎖症」に関する報告をし、学会が選ぶ4つの優秀演題のうちの一つとして表彰されました。

ニャップ医師は、2012年、本プロジェクトおよび大阪府立母子保健総合医療センターの支援を受け、同センターにて約1カ月の研修を受けました。先天性胆道閉鎖症は、ニャップ医師がこの研修期間中に手術技術を学び、カンボジアに帰国後、国立小児病院で手術を開始したものです。今回の発表は、このようにして始まった手術について報告するものでした。

日本での研修で得たことがカンボジアの医療現場で活かされていることや、カンボジア人小児外科医の実績が国際学会の場で評価されたことは、本プロジェクトにとって大変誇らしいことです。


2014年09月08日

カンボジアの小児外科が地方にも広まってきています

カンボジアの小児外科が地方にも広まってきています

2012年5月からの2年間、本プロジェクトで小児外科専門の卒後研修を受講したペン・ソパナリット医師は、現在、プノンペンから車で2時間程のところにあるタケオ州病院に勤務しています。そして、卒後研修で学んだ小児外科の知識と技術を駆使して、研修前と比べて、より多くの、より複雑な小児外科手術を行っています。

「研修受講前には、自分で手術が出来ないためにプノンペンの病院に搬送していた小児外科患者を、今では自分で手術できるようになりました。地元のタケオ州病院で治療を受けられることで、患者の負担は軽減されましたし、自分の手術でこどもが元気になった姿を見るのが、自分自身のモチベーションになっています」と、ソパナリット医師は言います。

本プロジェクトでは、地方における小児外科医療の浸透を目指して、2006年より、カンボジア保健省に認可を受けた初めての小児外科専門の卒後研修を実施し、これまでにソパナリット医師を含む17名の地方病院の医師を育成しました。ソパナリット医師のように、地方病院で活躍する当研修卒業生の姿は、カンボジアの地方にも小児外科が根付きつつあることの証です。

2014年06月04日

術後回復室が開設されました

術後回復室が開設されました

昨年9月に拡張工事を終えた国立小児病院(NPH)の手術棟には、工事に伴い、重症患者用の術後回復室(SICU)が開設されました。SICUは、新生児をはじめとする重症患者に、手術後の集中的な治療と観察をするための部屋です。

本事業では、SICUが効果的、効率的に使用されるように、昨年12月に、SICUで働く麻酔科の医師や看護師と共に能力向上計画を策定し、本年5月末までに「心肺蘇生」や「気道確保」などの研修を実施してきました。

現在、SICUでは、生後すぐに手術が必要な先天性疾患を持つ新生児患者への受け入れも増えており、手術と集中治療を経て無事に退院した患者の保護者からは、「NPHの医療で子どもが救われて、とても感謝している」等の声が寄せられています。

SICUの職員たちは、人手不足やしばしば起こる機材故障に悩まされながらも、無事に回復した患者や保護者からの声に励まされて、研修や日々の業務に前向きに取り組んでいます。

2014年03月12日

小児外科支援の受益者が、ひとりの少女の命を救いました

小児外科支援の受益者が、ひとりの少女の命を救いました

2014年2月、カンボジア北東部のラタナキリ州から、脳炎を患う12歳の少女が国立小児病院(NPH)に搬送されました。

頭痛に悩まされていたこの少女は、地元の保健センター職員の勧めで、ラタナキリ州病院で診察を受けました。州病院の医師は、緊急手術が必要と判断、NPHの医師なら手術ができると、NPHでの受診を勧めました。初めてのプノンペン行きを不安がる少女とその父親に、同州で活動するNGO職員が同行を申し出て、搬送が実現しました。

実は、この搬送に関わった人々はみな、本事業の受益者。保健センターとNGOの職員は、2013年8月、FIDRがラタナキリ州で実施した小児外科基礎シンポジウムに出席し、小児外科患者の早期診断と搬送の重要性を学びました。少女を診断した州病院の医師は、2013年にFIDRがNPHで実施した6週間の研修で、小児外科疾患の診断法を習得していました。

NPHで緊急手術を受けた少女は、手術2週間後に無事退院、ラタナキリ州の自宅に戻りました。

小児外科患者の迅速な搬送を目指す本事業の活動成果が、ひとりの少女の命を救うための連携プレーという形になって現れた出来事です。

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